これを名作と言わずしてなんと言う?そう言いたくなるくらい、大切にしたい一作。
重松清は「心のひだ」を描くのが抜群に上手い。人生における別れ、つまり、失恋だったり、死別だったりをテーマにすることが多いが、往々にして読む者の涙を誘う。たとえ短編であったとしても、なぜだか涙腺が緩むような話の持っていき方に、「優しくありたい」と思ってしまうのだ。
「ステップ」は幼い娘を残して妻朋子を亡くした夫から見た、娘の成長を綴った物語だ。新婚3年目に妻を亡くした武田健一は、2歳の娘である美紀を自分の手で育てる決意をする。朋子の両親、兄弟、美紀を取り巻く様々な人たちの優しさに囲まれて、美紀は保育園、小学校と1年ずつ年を重ね、「母親がいない」という寂しさを乗り越えていく。小学校を卒業するところで話は終わる。苦労は尽きないかもしれないが、きっと美紀は幸せになっていくのだろうと強く感じさせる終わり方だ。そして、幸せなのは、美紀だけではなく、そんな美紀の成長を間近で見てきた健一や朋子の両親達なのだろうと思わせる。
私自身は恵まれていたけれど、母親がいないことはきっと寂しい。けれど、周りの人間に支えられることで、ずっと優しい人間に成長していく。母親の不在というある種の不幸を描いているが、美紀の成長を一区切りごとに丁寧に書くからこそ、幸せな物語として成り立っている。美紀が亡き母親を思って泣く一方で、父親である健一も、亡き妻を思って涙する。健一も、そんな妻の不在を美紀と共に乗り越えていく。
重松清の作品はいくつか読んできたが、大切な人を失う悲しみを描いた「その日の前に」「その日の後に」、遠距離恋愛の末に自然消滅してしまう二人の関係を描いた作品などを収録した「ブルーベリー(改題:鉄のライオン)」、作者自身の投影である吃音障害を抱えた少年の成長を描く「きよしこ」などが特に個人的に気に入っている。いずれも、人が生きていく上で直面しそうな悲しみや切なさを惜しみなく描いているから、読み終わった後に読者の心に余韻を残す。
涙を誘う作品ばかりであるが、私はそれを「わざとらしい」とは思わない。かの「セカチュー」なんかも大切な人を亡くす話を描いてヒットしたが、やはり重松清の作品は何歩も先を行っていて、「心のひだ」を捉えているのではないか。私は、重松清の作品を読むと、周りの人たちに優しく接したくなる。それは、恋人だったり、兄弟だったり、親だったり、祖父母だったりするけれど、普段考えることのなかった、大切な関係に気づかせてくれるきっかけを与えてくれるのだから、時には読まなければならないとすら思う。本当のところは、重松清の本を読まなくても、優しく接することができればいいのだけれど、そう上手くはいかずに時間を過ごしてしまうのもまた、重松清の作品らしいなとも思うのだ。