ONE AND ONLY !!

By wps.

スパイになりたかった(福井晴敏「川の深さは」)

とても自分にはなれるものじゃないけれど、憧れだった情報機関の世界。

海外ドラマ「X-FILES」にハマってしまった話については以前の記事で書いたとおりだが、何事も気に入ったものにのめり込む性格の私は、陰謀論をテーマにした小説を読み漁るようになった。「日常の生活では見えないなにかが実はこの世界を動かしている」という世界観に興味をそそられていたのだ。そんな時に出会ったのが、福井晴敏の「川の深さは」だった。防衛庁に設置された架空の情報機関「DAIS」を中心に据え、北朝鮮やアメリカの暗躍、警察や公安調査庁との縄張り争いといった要素をふんだんに盛り込んだ福井晴敏のシリーズはこの作品から始まっている。

警察に嫌気が差して退職した桃山は、ビル警備の仕事を惰性で続けながら無気力に生活していた。ある晩、暴力団に終われて傷付いた少年「保」と少女「葵」がビルに逃げ込んでくる。彼らは、防衛庁の情報機関が自身の勢力拡大を狙って画策した陰謀の被害者だった。桃山は失っていた生きがいを見出だし、保や葵に協力するようになる…。実在する組織の設定を活かしつつ、超法規的措置も行うことができる情報機関をさらに描くことで、読者をそそる「仕組み」が出来上がっているのだと思う。今でこそ、実在する情報機関をテーマにした作品は数多く存在するが、福井晴敏の「川の深さは」から始まり、「Twelve Y.O.」「亡国のイージス」「6ステイン」「Op.ローズダスト」へと続く一連の作品がなければ、ここまで市場規模の広がりを見せることもなかったのではないだろうか。だからこそ、「川の深さは」の存在は貴重だと思うのだ。

妻とも別れ、生きる意味を失っていた桃山が、国家の陰謀に立ち向かう保の姿に心動かされ、自分から首を突っ込んでいく様や、誰も信じずに自分の力だけで葵を守ろうとしていた保が、くすぶってはいたものの真っ直ぐな桃山の気持ちに影響されて心を開いていく様からは作者の情熱が伝わってくる。勧善懲悪、つまり正統派なストーリー展開であり、テンポも早いので、誰でも楽しめる冒険小説仕立てになっているのも良い。情報機関が舞台になっているとはいえ、極めて敷居が低い作品なのだ。しかし、惜しいのは「Twelve Y.O.」以降のストーリー展開も似たようなものになってしまっていることだ。どうやら作者は、落ちぶれた中年と鍛えあげられた少年をペアにして少女を救う、中年は事件の最中に知り合った美人と仲を深めるという展開を好むようで、似たような作品を発表するたびに、「川の深さは」を貶めてしまっている気がしてならない。また、作者独特の体言止めや難解な語彙(「従容」など)を多様する書き方は、慣れてしまえば大したことはないが、受け付けない人もいるだろう。

それでも福井晴敏の作品を気に入ったのなら、麻生幾の作品をオススメする。福井晴敏ほど明快なストーリーではなく、場合によってはすっきりしない終わり方をすることもあるが、綿密に練られた設定はより大人向けと言ったところだろう。「COケース・オフィサー」「ZERO」「外事警察」など、警察におけるカウンター・インテリジェンスを描いた作品は、「本当に日夜こんなことが行われているかもしれない」と読者に思わせるだけの力に溢れている。

福井晴敏や麻生幾の作品など、情報機関をテーマにした小説をエンターテイメントとして楽しむのは簡単で、私は一時期本当に作品に登場するようなスパイになってみたかった。だからこそ目指してもみたのだが、いざ自分が少なからず国家の秘密を背負って生きていくことを考えると、エンターテイメントとして楽しむだけの道を選んでしまった。だからこそ、スパイとまでは言わないが、人知れずカウンター・インテリジェンスに従事している方たちには、尊敬の念を感じる

投稿:3/16/2013