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By wps.

社会人のための英語学習:総論②(成長の過程)

前回の記事で、TOEIC LR 950オーバー&米国駐在になるまでの大まかな変遷や、実際の英語力についてまとめたが、それでも自分は「特別」ではなく、地道な勉強を続けていたからこそ到達できたと信じている。なぜ自分が「普通」と思うのか、より詳しく成長の過程を紹介することで、感じ取っていただければと思う。

1.僕は英語ができなかった。

学生時代から英語ができたわけでは決してない。誰しも、簡単な内容しか習わない中学1年生の頃から苦手意識を感じないだろう。けれども、内容が高度になってくるに従って、次第についていくことができなくなる。自分には、仮定法を習い始める頃にはそうした自覚がハッキリと芽生え、授業中に指されても答えられない、赤点を取る、テストの順位は最下層、補習の対象者となるといったように、散々な状況に陥っていた。自分の問題点と言ったら、授業はとりあえず聞いているし、宿題も一応やっているけど、まったく頭に残っていないことだったように思う。今なら無意識にやっている「英語を英語として理解すること」、「文法構造を感覚的に理解すること」というものが少しもなかった。多少は気合を入れなおしても、相変わらず、後ろから数えた方が早いぐらいのテスト順位のまま、ダラダラと過ごしていた。

そんな状態でイギリスのホームステイに1ヶ月行かせてもらったが、ほとんど喋れるわけがなく、親のお金を無駄にしてしまったなと今でも悲しくなる。こうした経験から、基本的な能力が備わらないうちにホームステイや語学学習に参加することは、ネガティブに捉えている。学生時代の友人に自分の業務内容について喋ると、「英語できたっけ?」という反応が返ってくるし、「英語ができる人」として職場で認識されていることなど理解の範疇を超えているのではないかとさえ思う。

2.少しずつ英語が好きになった(基礎英語長文問題精講)。

ようやく転機が訪れたのが、高校2年の夏。自分でもさすがにマズイと思い、取り組んだのが「基礎英文法問題精講」と「基礎英語長文問題精講」。何度も本屋に通い、自分がやれそうなレベルを考えて選んだこの2冊を、ひたすら夏休みの学校の図書館で解き続けたのだった。特に、「基礎英語長文問題精講」は自分と合ったのか、問題を解くのが楽しめるようになったことを覚えている。結果はすぐに現れ、文法は相変わらず苦手だったもののひとまず平均点に、読解は平均点の上に届くようになった。点数が少しでも上がって周囲から褒められるのは気分が良く、夏休み前までは下降し続けていたモチベーションは持ち直し、積極的に勉強できるようになり、授業中に指される不安な気持ちから少しだけ解放されたのだった。

「どの問題集&参考書が良いのか」という問いに正解はない。学校で指定された問題集や知り合いに勧められた参考書があれば、本屋で眺めてみて、気に入ればそれをひたすらやってみるのが良い。自分に合わなければ、自分がやれそうな一冊を探してみれば良い。いまいちやる気が上がらないような状況が続くのなら、無駄になってしまうかもしれないが、やる気が上がる問題集を入手して必死に取り組む方がよい。そして、分からない単語があれば蛍光ペンを引き、間違える問題があれば何度も立ち返ってみる。それが、いつの時代でも基本となる勉強方法だと思う。

3.英語学習に弾みがついた(代ゼミ鬼塚幹彦先生)。

少しだけ英語への苦手意識がなくなった後、高校3年の夏になり、講師のこだわりもなく志望大学の英語対策のための夏期講習を代ゼミで受講することにしたところ、担当していたのが鬼塚幹彦先生だった。

一言で言えば「クセのある先生」だった。一般受けするスタイルではなく、受験英語に特化したテクニックを伝授してくれるのでもなく、力みすぎたのか何度もチョークを折り、パフォーマンスは大袈裟で、休み時間は校舎裏でよくタバコを吸っていた。「twitchの意味はこういうことだ!」と黒板の端から端までチョークでぐにゃぐにゃと線を書いたり、「松田聖子の赤いスイートピーに『I will follow youあなたについていきたい』って歌詞がある、followは『ついていく』だ 」とfollowの意味を説明するために歌い始めたりと、今でも強烈なインパクトが残っている。

そんな鬼塚幹彦先生の信条は「和文英作文を見れば英語の実力がわかる」だった。英語ができるなら、対象となる和文の文意を汲み取り、難しい表現は使わず、基本的な英文法と単語のみで英文を組み立てることができると豪語していた。だからこそ、基本に忠実な勉強をしなければならないと主張し、英単語の核となる意味や文章の構造を解説することに注力していたのではないかと思う。

夏期講習が終わって以降も、代ゼミ津田沼校へ自分が通っていた高校から2時間もかけて通い、講義が終わった後は毎週のように鬼塚幹彦先生に自分の和文英作文をチェックしてもらった。花丸をもらえた時はとても嬉しかったことを覚えている。少しでも小難しい表現を使うと、すぐに×がついた。表現を知っているか知っていないかで決まるのではなく、誰もが知っている表現で組み立てることができるかが重要なことだと教えられたのだった。鬼塚幹彦先生のおかげで、あらかたの英作文に対応できる自信が付いただけでなく、英語を勉強すること自体への苦手意識は完全になくなり、むしろ積極的に勉強したいという弾みになったのは確かだ。そして、今でも、「簡易な表現を使う」という英作文の精神は、自分が仕事で英文を書く際にも確かに生きている。

4.モチベーションを維持できた(語学留学)。

とある国会議員が、「UCLA(ロサンゼルス大学カリフォルニア校)出身」と経歴に書いていたが、実際は「UCLAに付属している語学学校(UCLA Extension American Language Center)に在籍していただけだった」というような事件があった。大学の案内で同学校のプログラムの案内を見た私は、「経歴詐称の舞台で語学留学してみるのも面白いかもしれない」という動機で、大学2年の春休みを利用して1ヶ月の語学留学に参加することを決めた。語学留学前に受けたTOEIC LRスコアは620だった。

幸いにもクラス分けテストの結果でAdvancedクラスに振り分けられたことが、この語学留学の価値を高めてくれた。語学留学の際に重要なのは、何よりもクラス分けだ。このプログラムには日本人が多数参加していたため、テストの成績が悪ければ日本人ばかりの中で1ヶ月を過ごさなければならなかっただろう。自分が在籍したクラスの生徒は全員で20人。日本人は5人いたが、意識的にお互いの座る席を遠ざけ、緊張感を持って他の国(韓国、中国、台湾、インドや東欧諸国)の留学生と話す機会を得ることができた。

残念ながら、授業自体は特別なものではなく、オンライン英会話の選択肢が豊富にある現在では、当時あった価値はさらに低くなっていると思う。どこにでもありそうな英会話テキストに沿ってロールプレイングをしたり、ディスカッションをしたり、プレゼンをしたりといった英語トレーニングは、意味がないとは言わないけれども、大金をはたいて参加するほどでもないのは確かだ。

一方で、ネイティブの授業を乗り切るということよりも、自分にとっては、他の国からの留学生とフリートークをするためにネタを考えておく(使用する英文&英単語を調べておく)=英語で話す準備をするという習慣の方が貴重な経験だった。学生の頃の方が、友達作りもしやすく、なんとなくの意思疎通でも友好関係を築くこともできる。海外の人と対面で人間関係を構築した経験は、その後の自分にとって糧となった。また、帰国後も英字新聞を毎日読むなど意識的に英語に触れる機会を増やしたことで、スコアはTOEIC LR 720と、着実に伸びていった。

単に英語のコミュニケーション能力を強化したいのであればオンライン英会話をみっちりやるのでも良いと思うし、環境自体も変えたのであれば、まずは安価なフィリピンに語学留学してみるのが現在は現実的かつ効果的な選択肢ではないかと思う。

5.何かしら勉強を続けた10年間(仕事で使う中で伸びたTOEIC)。

その後10年ほどの間、劇的に英語が伸びた瞬間はなかったが、振り返れば着実に伸びていった時期だったと総括できる。当初、問題形式に慣れていくことでそれなりにTOEICのスコアは伸びたが、それでも800には届かなかった。しかし、社会人になり、国際部門に配属され、英語で読み書きをしたり、電話会議に出席してメモ取りをしたりする中で、総合的に英語能力が底上げされていた。

ノンネイティブの癖のある発音も、ネイティブのスピードの速い発言も聞き取れず、電話会議にはだいぶ苦労させられた。それでも、何度も何度も聞き直して何とか文章として理解し、上司にメモを修正されて自分の誤りに気付き、それを次回に活かしていく中で、特にリスニングには自信を持てるようになった。学生時代の頃のように文法を強く意識しないので、文法・語彙分野に関してはTOEICでも正答率が落ちてしまう。しかし、電話会議等の仕事で英語を使う中で、TOEIC対策をしていなくてもひたすら英語と向き合ったために、入社3年目には目標としていたTOEIC LR 800を大幅に超えることができた。

電話会議のために購入したSANYOのICレコーダー(ICR-RS110MF)は、AMラジオの予約録音が可能という優れものだった。そこで、NHKラジオ英語講座の番組を毎日録音し、通勤時間中に聞き流す生活を数年間繰り返した。「リトル・チャロ」や「ラジオ英会話」は、シンプルな英語を使うので理解も難しくなく、電話会議とは違う平易な英語に慣れるために有益だったと思う。特に声に出したり復習したりすることもなく、ひたすら飽きるまで聞き続けた。特に日本語での解説が必要なレベルの英語学習者には、類似の類似のICレコーダー+NHKラジオ英語講座はオススメできる教材だ。

いつしか、NHKラジオ英語講座を繰り返し聞くことが辛くなってきた。同時期、転勤も重なり、残念ながら英語を学習する習慣が2年間失われてしまった。そこで、転勤が終了して東京に戻ってきてからは、業務関係の短い英語ニュースを何本も読むことを日課にし、リハビリを始めた。メールマガジンで届く記事の中から興味を持ったものを5本程度選んで印刷をし、通勤時間や昼休みに読むことを心掛けた。常に通勤カバンの中には英文記事が何枚も入っていて、今度はひたすら「読む」生活だった。最初はすんなり理解できずにつっかえつっかえ読んでいたが、何本も読んでいく中で次第にスムーズに読むことができるようになったことを覚えている。特にリスニングには力を入れなかった時期だが、公式問題集を数冊こなした時点でTOEIC LRは950を超え、たとえ「読む」だけでも英語能力は全体的に向上させることができると実感した。

6.恥ずかしい思いをたくさんした。それでも到達できた。

TOEIC LR 800を取得できた頃から、英文を読んだり、英語を聞いたりすることに躊躇いは感じなくなった。それでも、対面での英語能力はゼロに等しかった。例えば、幹部の海外出張に随行することになっても、先方と挨拶する時に自分だけ握手してもらえなかったり、レセプションパーティーで誰にも話しかけられず1人時間を潰すことになったり、自分が居ないものとして会議が進められたりといったような、とても悔しい思い出がたくさんある。

あの頃、自分は入社してから数年しか経っていない若手で、会議への貢献が(組織として)期待されていないという甘えを持っていた。海外出張をしても、発言せずに、黙っていたり、相づちを打ったりして、「無難にやり過ごす」ことを選んでしまった。いざ話す時にも、「入社してからあまり経っていなくて」とか「今回の出張は主に議事録作成が自分の仕事で」といった言い訳を前置きにして喋っていた。自分でもそれが誤りだと分かっていたので、3回目の海外出張を悔しい想いで終えた後に、「もう言い訳するのは止めよう」と決めた。次に海外出張に行く際には、いくら会議の展開が早くても、自分の英語で表現できる時には、躊躇わずに喋ることを目標にしたのだ。

そして訪れた4回目の海外出張は、自分としてはなかなか上出来だったと思う。メインスピーカーは上司だったが、会議や会食の場面で何度も発言して相手の返答を得ることができた。前回から英語能力が向上していたわけではないけれども、少しぐらいは自分の存在を相手の記憶に残すことができたと思う。なにより、「コイツは喋る人間だ」と思わせることで、先方の意識が明らかにこちらへ向いていることを実感できた。1つの会議で1回は発言することは、まったく発言しないことより何倍も価値がある。

しかし、残念ながら気持ちだけでは全てを解決することができない。喋ることを心掛けていたとしても、相手の話を聞き取れなければ反応もできないし、自分の中に適切なフレーズが蓄積されていなければ口は動いてくれない。そんな閉塞感を覚えていた時期に、「どんどん話すための瞬間英作文トレーニング」に取り組んだ。単調な例文を暗唱するのはとてもつまらなくて、二度とやりたくない。ただ、効果はあった。基本的な英文を使いこなせることは、英会話を楽しもうとする人にとって不可欠だと思う。覚えた例文を自分の生活に当てはめ、ネイティブキャンプ でフィリピン人講師相手に日々の報告をして会話を楽しむうちに、ついに自分が英語の聞く/話すに関しても得意と言えるようになったことを実感できた。

そして、ワシントンDCで1年間の海外勤務を行う機会を得た。たった1年間ではあるけれども、レセプションで初対面の人に話しかけて友達になったり、大勢のネイティブスピーカーの前でプレゼンをしたり、業界の著名人に対して1時間超のインタビューを行ったりと、やるべきことを満足するレベルで達成できた。聞いてもいないのに自分の英語を褒められたことも多々あった。こうして、自分は英語ができるのだと、学生時代から数えて20年後にようやく心から思えるようになった。

次回は、社会人が一定程度の英語能力を得るためには概ねどのような方法を採るべきなのか、総論のまとめとして述べたみたい(③に続く)。

投稿:3/28/2021