人は誰でも、自分の些細な選択で好きな人を失ったりしたくはないだろう。
けれども、本策の主人公は期せずしてそんな人生を歩むことになってしまった。主人公の会社員三谷は、出張を翌日に控えた夜に恋人みはるとバーに行き、泥酔してしまう。いったんはみはるの部屋に転がりこむも、三谷の「毎日朝食にリンゴを食べる」という習慣のために、みはるは三谷を残してリンゴを買いに行く。そして、それきり、みはるは部屋に戻って来なかった。恋人は何も言わずにどこに行ってしまったのか?手がかりを探しつつも、徐々に日常を取り戻していく主人公の姿を、時間の経過と共に書かれている。
佐藤正午という作家のことは良く知らなかったが、小粒でなかなか楽しませてくれる。通勤電車なんかで行き帰りに読むのがちょうどよいボリュームと内容だ。恋人を一夜のうちに失ってしまった主人公の喪失感と行動がリアルなせいか、気が向くと読み返したくなる。一般的に、こういった行方不明を扱った小説は、主人公が行動的でないと成り立たないとされている。当たり前だが、主人公があらゆる障害を取り除いてたどり着いてもらわなければ、話が進まないからだ。しかし、本作の主人公はそうではない。恋人が部屋に戻って来なくても、悩みはするものの出張に行ってしまうし、所々でどこか引いているような態度も取る。他のレビューを見ると、「主人公が優柔不断過ぎて…」という批判的なコメントも目にするが、社会人の一般男性が陥りやすいような行動を描いているから、妙に迫るものがあるのだと思う。
なぜ恋人が姿を消したのかについては、作品が進むに従って明らかになっていくが、主人公の後悔と気持ちの処理については、やや尻すぼみだったかなとも思う。全てが終わってから、「自分はこれでよかったのだ」と思いたくなる気持ちもわかるが、そんな結果になってしまったのも、主人公の行動のせいであることに変わりはない。もう少し最後ぐらいはスッキリとした終わり方をしてほしいものだ。
結局は、わかっていたようでわかっていなかった恋人への理解と、それに対する主人公の日頃の行いが事の発端であるので、そういう意味では考えさせられる小説だった。誰でも、ある日突然恋人と連絡が取れなくなるなんて状態を想定して付き合っているわけではないだろう。もし突然彼女が失踪してしまったら?そんなことを気に留めて、恋人との付き合い方を考えてみるのもいいと思う。そんな普段考えないようなポイントを突いてくる作者は、何かしら「恋人の喪失」とか、何気ない「人生の選択」に思い入れがあるのかもしれない。同じく佐藤正午による「Y」も人生のちょっとした選択をテーマにしており面白い。