学生時代は勉強しなかったくせに、社会人になった今になって、勉強したくなる。
そんな気持ち、感じたことはないでしょうか?かくいう私も、無性にちゃんとした勉強がしたくなり、この2年間、会社が終わった後に夜間の社会人大学院に通い続けました。無事に卒業が決まることを機に、社会人大学院に興味がある方へのアドバイスになればと、二足のわらじ生活をまとめてみたいと思います。
①入学までの経緯
きっかけは、会社の若手社員に対して人事部から社会人大学院の案内があったことでした。当時、私はFP2級に合格したばかりで、簡単に取得できるB級資格よりも、じっくり腰を据えて取り組める対象を探していました。業務に関連する知識が学べるとだけあって、社会人大学院は渡りに船だったのです。しかし、簡単に出願を決めることはできませんでした。ネックになったのは、お金と時間。会社持ちではない授業料と、ただでさえ忙しいのに、業務後に大学院へ行く時間を捻出できるかどうかです。悩んだ末、入学後の2年間に得られるものは、それだけの価値があると思うことにし、とりあえず出願することにしました。
人事部の案内があってから出願まで、3週間も時間がありませんでした。その間に、上司から推薦状を取り付け、大学の卒業証明や成績表を取りに行き、研究計画を作成しなければならなかったのです。特に大変だったのは、時間がない中で作成しなければならなかった研究計画。運悪くインフルエンザにかかってしまいましたが、なんとか形にしました。自分がある程度理解している研究テーマを選択し、既存の研究を簡単にまとめ、ポイントを絞って作成することが最低限求められる内容かと思います。私は、出願者が少なかったという幸運の中、レベルの低い研究計画でギリギリ通過したようなものです。
②仕事への影響
できるだけ本来の仕事への影響を少なくするためにも、週2日~3日は大学院へ行くように履修登録を行いました。私の場合、これ以上の履修を行うと残業時間を確保できなくなるため、早朝や休日に出勤することになります。いくら大学院のために早退しなければならないとしても、「仕事を任せてほしい」という思いも一方でありました。大学院へ頻繁に通うことで、仕事を任せてもらえなくなることが心配だったのです。そこで、週2日~3日の出席をコンスタントに続けることで、必要な単位数をギリギリクリアして卒業することを目標としました。
仕事がたまってしまった時には、大学院よりも仕事を優先しました。発表等があり欠席できない時には、大学院へ行きつつも、講義が終わった後に職場へ戻ったこともあります。ですが、自分が卒業までこぎつけられたのは、講義への出席+発表orレポートによって、さほど厳しくない成績が付けられ、なおかつ講義への出席に当たっての準備が大変ではなかったという理由が大きいです。本来あるべき姿なのは、予習と復習に時間をかけることですが、あいにくそこまでの余裕もなく、「単位を取得するため」と割り切った態度で臨んでしまった講義もあります。
③修士論文
修士論文については、自分の興味のある分野であることは譲りませんでしたが、できるだけシンプルなテーマと構成にすることで、指導教官と揉めることなく、スムーズに提出まで進めることができました。私が通っていた社会人大学院には、ある程度の社会人経験を積んだ30代の方が多かったのですが、自分の仕事の経験からか、自分なりの強い考えを持った方が一部には見受けられます。そして、論文指導を受けるなかで、指導教官の示唆を受けても改善せず、毎回のように揉めている方もいました。「こういうテーマで書きたい」「こういう方向性で書きたい」と考えるのは当然の成り行きですが、大学院に通っている以上は指導教官とうまく折り合いをつけて進めるべきです。最終的に卒業を許可してくれるのは指導教官なのですから、割り切って指摘を受け入れて修士論文の軌道修正をするか、指摘を受けないように無難な修士論文を書くかのどちらかが必要なのではないかと個人的に思うのです。
論文のボリュームはかなりのものですので、そう簡単に書き上げることはできません。修士論文と言っても、自説を主張するというよりは、既存の研究をまとめる作業が中心になりますが、それにしても数多くの資料文献に当たる必要があります。そして、ひたすら論文の形にしていかなければなりません。私は、毎週末にだらだらと時間をかけるやり方で論文の執筆を進めました。集中的に書いた方が良いのはわかるのですが、仕事で疲れた週末には、どうにもやる気が起きません。昼過ぎからパソコンに向かっても、夜になってようやく1~2ページを書き進んだぐらいです。そんな生活を修士2年の夏から毎週のように続ければ、年末にはそれなりの形になっていました。後は、年末年始の休みを利用して整えて完成です。指導教官の反応も終始良好で、スムーズに修士論文を書けたことは間違いありませんが、もう二度とこんな生活を繰り返せないなと強く思います。
④2年間で得たもの
通っていて一番良かったのは、業務外での繋がりができたことでしょう。社内や営業先での交流以外には人脈が作れなかったなか、様々なバックグラウンドを持った人達と知り合うことができ、ゼミで意見を交え、終わった後には飲みに行くような生活を繰り返したことは、文字通りかけがえのないものだったのではないかと思うのです。私の会社は古い体質でしたので、なかなか社内会議の場で自分の意見を言うことができません。しかし、ゼミの場では会社で言えないような意見も口にすることができます。期せずして、ゼミがある種のストレス発散の場になったようなものでした。
こうして書いてみると、学問を学んで知識を身に付けたというよりは、副次的な産物の方が大きいように見えるかと思います。恥ずかしながら、そのとおりなのです。理系や専門職の大学院ならともかく、たった2年間、単なる文系の大学院に通ったところで、得られる知識というのはそうありません。ゼミで学んだ専門分野に関しては深堀りすることができますが、後は浅く広く接することしかできない可能性が高いのではないかと思うのです。もちろん、大学院に費やす時間をフルに使って、専門分野以外にもかなりの周辺知識を得た方もいます。しかし、業務のパフォーマンスを維持しながら、大学院の講義内容をすべからく吸収するというのは並大抵のことではありません。大学院に通えばステップアップできると考えがちな人も居ますが、それは誤りです。
⑤まとめ
結論として、2年間、会社外の場所に片足でも籍を置くのは、個人的には意義があったと思います。二足のわらじ生活を乗りきったことは、自分の中で自信にもなりました。今まで社会人大学院に費やしていた時間を、仕事に向けたらどうなるだろう?英語や資格試験の勉強に向けたらどうなるだろう?そう考えるだけで、楽しくなってきます。大学院で修得できなかった知識に関しては、とっかかりを得たということにして、次の挑戦に繋げていければと思っているところです。