それでも、間違いなく面白い。それくらい中高生の自分がハマってしまう世界観だった。
上遠野浩平の「ブギーポップシリーズ」は、電撃文庫から発売されているライトノベルである。つまり、アニメの原作になるような小説で、一般的に広く受け付けられる要素は低い。それでも、発売からしばらくの間はかなりの注目を浴び、その内容は多くの作家に影響を与えたという。「ブギーポップ以前⇔以後」という言い方がされるほど、その後、似たような作品が散見されるようになる。いわゆる「セカイ系」の部類に入り、「平凡な主人公の身の回りの出来事が、世界の滅亡に繋がっている」というのが話のベースだ。
シリーズを通した物語は、現代社会を舞台に、「世界の危機」を感知して出現する死神「ブギーポップ」と、世界の危機の元凶となった超能力者「MPLS」及び「統和機構の人造人間」との戦いを描いている。1998年の第一巻発売以来、続編が毎年のように発売されており、未だ未完だ。他の電撃文庫作品と同じく、この「ブギーポップ」もアニメ化されているが、小説とはまるで別物なのでこの際気にしない。上遠野浩平が書く他の作品とも世界観がリンクしているのが特徴で、徳間デュアル文庫から発売されている「ナイトウォッチシリーズ」、講談社ノベルスから発売されている「事件シリーズ」、祥伝社ノン・ノベルから発売されている「ソウルドロップシリーズ」などが有名である。作品をまたがって登場するキャラクターが多く、ちょっとしたリンクの発見が読者の楽しみを一層掻き立ててくれる。
なにより刺激的だったのが、日常生活に潜んでいる超能力者や人造人間だとか、世界を裏で操っている秘密結社を余すところなく描きこんでいるところだと思う。恥を忍んで告白すると、自分もその例外ではなかった。上遠野浩平の描く世界に魅了されてしまったのだった。
中学生の思考というのはまだまだ単純なもので、すぐに影響を受けて妄想を膨らませてしまう。第1巻「ブギーポップは笑わない」を読んで以来の自分は、「自分もこんな超能力に目覚めたい」とか「世界を裏で操る秘密結社の存在を暴きたい」とか、わりと真剣に願ったものだ。統和機構「最強」の能力者「フォルテッシモ」、そのライバル「イナズマ」、一般人ながら統和機構を翻弄する「炎の魔女」=「霧間凪」。挙げればきりがないくらいの登場人物が、「こんな世界で自分も活躍したい」と思わせてくれた。
作中の節々で、上遠野浩平という人の考えは知ることができる。それは、作中に出てくる作家「霧間誠一」の言葉であったり、はたまたあとがきであったりするのだけれど、禅問答のような問いに対して、意表を突くような答えを提示してきたものだった。「『普通』とはなにか?」など、少なからずそんな問答は今の自分にも影響を残しているところがある。作者は哲学者でもないので、読み返してみると言葉遊びと思えなくもないのは認める。
未だ終わりを見せない上遠野浩平の世界だが、10年以上も読み続け、そして社会人として何年間も働いてくると、さすがに限界を感じてきた。広げた風呂敷をいつまでたっても閉じようとしないのは出版社の戦略なのかもしれないが、いずれにしても読者の読む気力を削いでしまう。仕切り直しをせずに続編を出していては、新規の読者を呼び込めないのではないかとこっちが心配になるくらいだ。そして、悲しいかな超能力者や秘密結社に、それほど魅了を感じなくなってきた自分もいる。ようやく厨二病が解けてきたのかもしれない。
中学生は悩める年頃なんだから、ちょっとしたなにかをきっかけにして「自分は特別かもしれない」とか思ったり、「非日常」に憧れたりしてもバチは当たらない。「ブギーポップシリーズ」を始めとした上遠野浩平の作品はそんな中学生に夢を与えてくれる。私の本棚には、上遠野浩平の作品のほとんどが詰まっていた。新発売の文庫を買いに走っては、すぐに読了し、現実社会のような非日常に想いを馳せては、フラストレーションが溜まる学校に通っていた。そんな日が送れて、自分は幸せだったと思う。